G11 菅氏の原稿です

2010/09/02

テニスが人生を決める

大学に入ってから体育会に入ろうと思って一ヶ月思案して決めたのがテニス部でした。その当事のテニス部は弱小な運動部にも拘わらず部としての規律が整い青春を謳歌するには格好の運動部として評価されていました。
練習は明石公園まで行かなくてはならず、毎日毎日、明石が分校のごとく通いました。授業に出て真面目に勉強した覚えがあるのは一年の一学期ぐらいでしょう。
夏の練習は暑い中休みはほとんどなく、今でも覚えているのはコートに行かなかったのは夏休み期間中3日のみでした。雨が降ってくれと祈ること毎日でした。技術指導は全くなくタダひたすら打ち返せ!走れ!拾え!の怒号のみで足は鍛えられ未だにその衰えはありません(?)
テニスの教本は今では本屋に数多く並んでいますが、当事はそんなものはありませんから先輩から盗み、他校の有名選手から盗むぐらいが関の山。
今から思うとテニスに関する基本知識が全くなかったというか考え及ばなかったというのが正解でしょう。今はあらゆる教材があるので羨ましいです。
学生時代はテニスは朝から夕までが練習時間、その他の運動部は3時間やったら後は自由。しまった、もっと他の運動部を探すのだったと後悔したことがあります。肝心の勉強も出来ない。
しかし不撓不屈の負けじ魂と集団行動と規律はしっかりと身につけました。
卒業してからはまさしく企業戦士、転勤族であちらこちら。テニスは全く遠ざかっていました。しかし淡水テニス会の年会費はキッチリと支払い続けましたよ。当たり前だよね、現役の頃は先輩から会費を戴いていたんだもの。
会社生活を終えて久しぶりにテニスを始めたのが神戸LTCでした。しかし伝統あるクラブに入っても、練習する時間はなくすぐに試合です。試合もなかなか組ませてくれません。そんなことから行くのもためらって一年で4〜5回ぐらいしか行けませんでした。それも我が娘を誘い出し我が息子が帰ってきたのを捕まえて行く位でした。
実力は自分でも情けないぐらい惨めなもの、試合するのが怖い気持ちでした。
あるとき中島さんと食事をしたのですが、話をするうちに彼が神戸大学の一年先輩の徳田、中島組の方と分かりました。私が主将のとき商大のテニスの指導にお願いして来てもらったことがありましたので話しが弾みました。
彼も神戸LTCのメンバーでしたのでそれから毎週一日3時間トコトン練習をやっていただけました。
身体はみるみる引き締まりスリムになったのはそのお陰です。
会社の現役時代からは10kg以上減量でき、30代から続いている高血圧の薬のみ飲んでいますが後は血液検査は全て正常です。
会社生活を続行していたら間違いなく今頃はあの世へとオサラバしているでしょう。社長にならなくてよかったと負け惜しみでなく思っています。
今となっては他の運動部では現役と練習することは不可能でしょう。テニスはこの歳で何とかやれるということは嬉しい以外の言葉がありません。
過激なスポーツとして認識されているテニスを多くの仲間と一緒に出来る喜びを噛締めています。
OBの皆さんも今やっていない方々は勿体無いです。私でも出来るのだから
一緒にやりませんか?次の90周年に向けて頑張ろうと思います。その時には80歳を越えていますが、球を追っかける精神は持ちたいと思っています。

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