G 7   高橋氏の原稿です

2010/09/02

創部80周年記念祭に参加して

60周年の「ワイン城」、70周年の「舞子ビラ」に引き続き、今回も80周年の記念行事に参加させて頂いた。
前回、前々回に比較して圧倒的に参加人員が増加したのは、小幡会長を先頭に幹事諸氏の一方ならぬ積極的な勧誘運動が功を奏したものと、改めてその御骨折りに御礼を申し上げる次第である。
扠、「創部80年を迎えて」の特別誌に投稿を、との要請であるが、高商一回の故上田先輩が高商を卒業された年に生まれた小生にとって、自分の人生より長い歴史の歩みを感じるものの、大学卒業と同時に東京勤務となり以後50数年を関東で過ごし、母校にも殆ど顔を出す事が無くその間殆どテニスとは縁の切れていた小生にとっては、題材を見つけることが極めて難しい。
学生時代の思い出といえばテニス関連のものに集約されるが、これは学7の3人が已に「神戸商科大学硬式庭球部の思い出」として投稿しているので、今更古い商大テニス部の話でもあるまい。
そうなると、古い話は他の人に任せて、読む人には面白くないかもしれないが、私個人に近況を一寸述べてみることにする。

前述のように卒業以来46年のサラリーマン生活に終止符を打ったのが、7年前の70歳の時。
其の間は、年に一、二回淡水テニス東京の会合の飲み会の部に参加するか、学7の3人で飲み会を開くか以外にはテニスのプレーとは完全に縁が切れた状態であった。
ところが、淡水テニス東京支部での会合で、当時、常時わざわざ甲子園から御参加いただいていた、高商4回の故岡田先輩から「もう一度ラケットを握りなさいよ!!」と勧められ恥を忍んで再度ラケットを握ったのが、意外や7年を経過した今でもテニス生活が続いている。
勿論、腕前の方は記憶に残るものとは格段の相違があるが(学生時代もそんなに上手くなかったけれども思い出話は常に美化されるもの・・・・・)それでも、定年退職された後にテニスを始められた方々とは何とか対等にプレーが出来るのも、矢張り大学テニス部でしごかれたお陰かと変な所で感謝している。

幸いなことに、小生が在住している埼玉県越谷市は、テニスコートにかけては非常に恵まれており、近所の市町村の方々からは、羨ましがられている状態である。
テニスコートは、市営のコートが彼方此方にあり、時間的にゼイタクを言わなければ(10時〜12時の所謂、おばさん達の時間を外せば)比較的自由にコートが確保できる。
費用も2時間一単位で一面@\1,000.と割安で4人以上集まれば@\250.以下で2時間を楽しむことが出来る。
今は、この恩恵をフルに甘受し、60歳代の定年退職者とグループを作り週に3回、(月曜2時間、火曜4時間、金曜4時間)の合計10時間を専らチンタラテニスで時間を過ごしている。

最近になって、痛切に感じるのは、もしテニスが無かったならば、小生の退職後の人生は時間を持て余し殺伐たるものに成っていたのではないだろうか?
幸いな事に、テニスという共通の楽しみがあるため、退職後も同好の人々との交際も始まり、適当に飲み会も参加でき、何よりも驚いている事は、学生時代夢にも考えていなかった、女性との混合テニスが出来る事であり、この面でも交際範囲は倍に膨れ上がったものとテニスには大いに感謝している。と、近況を報告して見て驚いたのは、前述の7年ほど前に学7の3人で作成した「硬式庭球部の思い出」の最後に記した「古くは高商の先輩、新しくは幅広く学部の若手諸君とお付き合い願えるのも、偏にテニスのお陰と考えると小生の人生はテニスをもとにして充実したものであったと考える」という文章は喜寿を迎えた今でも続いているものなのかなア・・・・・・・・・・・

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