G19 古谷氏の原稿です

2010/09/02

現役時代の思い出 

創部80周年の祝賀会に妻同伴で出席してきました。5月22日(土)は大学のコートでテニスを楽しみ、その後5時からの舞子ビラで開催された総会・祝賀会に参加致しました。
卒業以来の何人かの先輩・後輩ともお会いでき、懐かしい昔話に花が咲き楽しい時間でした。翌日の23日(日)は記念テニス大会の予定でしたが、生憎の強い雨で中止となり、大学の会議室を借りての懇親会に変わりました。でも雨でテニス大会が中止になったのは残念でしたが、懐かしい方々とお会いできてとても有意義な2日間でした。
私の現役時代の思い出を報告したいと思います。京都の府立高校を卒業し、神商大に昭和40年に入学し大学のすぐ近くの高丸で下宿しました。京都からだと通学に片道2時間半はかかることや、自宅を出て一人で親元を離れた生活がしたかったからです。
テニス部に入部した経緯は初めての下宿先が2人1部屋で一緒になったのが、テニス部の4回生でキャプテンをされていた土井満さん(2002年歿)でした。私は高校時代に経験していたラグビー部に入部したいと思っていたのですが、土井先輩からの熱心な勧誘があり、あっさりテニス部に入部致しました。
私が在学した昭和40年〜43の4年間はリーグ戦の入替戦を毎年経験するという変動の時期でした。当時は各部4チームで神商大は高校からの経験者が少なくて、部員数も少人数ながら関西の上位校でした。それだけ日頃の練習は厳しかったと思います。

昭和40年(土井主将):リーグ戦2部4位 ⇒ 入替戦勝利 2部残留
昭和41年(小幡主将):リーグ戦2部4位 ⇒ 入替戦敗退 3部降格
昭和42年(山岡主将):リーグ戦3部4位 ⇒ 入替戦敗退 4部降格
昭和43年(宮井主将):リーグ戦4部1位 ⇒ 入替戦勝利 3部昇格

従ってこの間我がテニス部の目標ははっきりとしており、激しい練習を懸命にやり続けました。テニスのスタイルが今と全く違っていたように思います。
ラケットも木製でスイートスポットも小さく、人工芝のコートではなく、土のコートで打球のイレギュラーにも対応せねばなりませんでした。
このような条件の中で余り積極的に攻めて勝つのではなく、粘って相手のミスを待って勝つというのが、我校の一般的なスタイルでした。長い試合も多く、絶対に体力負けしては許されない環境で体力と精神力を鍛えられました。
このようなテニスのスタイルは、もう年のせいもあり全く出来ませんが懐かしい思い出でもあります。45年間のテニス生活は一時休んでいた時期もありましたが、今も週に2回程(1回2時間)続けられていることに、幸せを感じている66歳です。

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