G21 栗岡氏の原稿です

2010/09/02

淡水テニスクラブ会報(創部80周年記念号)への寄稿
 
私たち学21回生(昭和22年〜24年生まれ)は正に団塊の世代であり、同じ年次の仲間が多いことは、今までいろいろな局面で人生に大きな影響を与えてきたように思います。
私たちが商大テニス部に入部した昭和42年は、なんと新入部員が20名強いて、夏の岡山合宿の時点でも1回生部員は十数人いたと思います。合宿のコート整備も1回生で2班に分けて2日に1度でよく、合宿の疲れも随分軽減されたと思います。もっとも、この年の岡山は雨が多く午前中基礎練習、午後はフリーとなった日が何日かありました。

その反動からか、2回生になると1回生の部員がわずか4名と少なく、夏の信州の合宿では逆に我々2回生を2班に分け1回生のコート整備を手伝うことになりました。
そんな2回生の時の夏合宿夕食後の全体ミーテイングで、思わぬハプニングが起こりました。
当時、合宿中は酒、麻雀、煙草は禁止となっていましたが(今もそうですか?)、ミーテイングで3回生の幹部の1人から、「さっき外で煙草を吸っている者を見た。誰かれと言わないから正直に自己申告せよ。」との発言があった。しばらくの沈黙の後、我々2回生の貞本、明石、南方君の3名が名乗り出た。そしてしばらくして、「私も吸いました。」と同じ2回生の渡部君が遅ればせながらと申し出たのでした。
それを見たその3回生幹部は、「あれ、俺が見たのは最初の3人だったけどな・・。渡部も吸っていたのか。」 正直な(?)渡部君の発言に一同大笑いしたものでした。
当然、合宿規律違反をした2回生4名に対し罰則が科せられ、次の日からのコート整備はこの4名のみで行うことになり、1回生も我々他の2回生も当番からはずれ楽をさせてもらいました。

今回創部80周年の節目あたり、昨年同期の一杉君がガンで急逝したこともあり、元気な内に皆んなの顔を見ておこうということになり、80周年記念総会の前日、梅田の新阪急ホテルロビーで同期6人(貞本、明石、中沢、溝内、南方君と私。台湾駐在中の渡部君は不参加)で会い、その後近くの居酒屋で約20年振りの同期会を開きました。その席上あの渡部君が台湾に居る内に、台湾へ観光旅行&ゴルフに行こうということになり渡部君にアレンジをお願いしている。渡部君に再会し、あの時の勇気ある(?)行動を同期皆んなで称えたいと思っている。

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