G35 福田氏の原稿です

2010/09/04

創部80周年おめでとうございます。一言で80年とは言うものの、私が生まれるずっと前から活動されていたと考えると、改めて長く深い歴史の重みを感じさせられますね。

さて、80周年に当たり、この場をお借りして、東京支部の活動状況と私の近況について簡単にお話しをさせて頂きます。

東京支部のメンバーは、高崎支部長(G23)を中心に総勢約80名(各種ご案内状の送信宛先ベース)で構成されています。活動内容としては、夏の総会、秋のテニス会、それに比較的低年齢のOB・OGで構成される若手分科会の3種類です。夏の総会は多い時で20人超のメンバーが集まります。世代や性別を越えて「同じ釜の飯を食った」仲間が和気藹々とした雰囲気の中で酒を酌み交わし、お互いの近況報告や昔話に花が咲きます。今年の総会は6人とやや小さめの開催でしたが、それでも10数年ぶりの再会があったりもして、話しが尽きませんでした。秋のテニス会は、千葉県野田市のロイヤルSC野田テニスクラブで開催しています。東京都心からは離れていますが、緑豊かな広々とした敷地の中にテニスコート、クラブハウス、芝生の中庭、宿泊用のログハウスまで備えられています。テニスの後は中庭でキンキンに冷えたビールをグッと飲み干し、クラブ特製のタレで食べるバーベキューに舌鼓。日没で辺りが暗くなる頃にはログハウスへ移動し、室内で懇親会を続けます。ここ数年、幹事泣かせの雨に祟られていますので、今年は開催のタイミングを例年より早めて9月25日に設定しました。また、テニス会には神戸本部より小幡会長や菅先輩にもお越し頂き、コート上での勇姿を拝見するとともに、テニスの腕前をカバーする舌戦も楽しませて頂いています。

続いて、私の近況をお知らせ致します。

まず、今でもテニスは続けていて、週に1度はラケットを握っています。(学生時代の対抗戦で戦った)岡山大学のOBとも今でも交流があって、月に数回は一緒に練習をしています。テニスに加え、息子が地元小学校のサッカーチームに入っていた関係で、お父さん達でおやじチームを立ち上げ、月に2回程度ボールを蹴っています。サッカーなんて高校の体育の授業以来でしたが、個人競技のテニスとは違う面白みがあり、この歳ではまっています。また、会社は東京駅から至近の場所にありますので、ご出張などで東京にお越しの際には、是非ご一報下さい。

私と東京支部の付き合いですが、1995年にニューヨークの駐在から東京に戻り、その翌年か翌々年に当時の日商岩井鶴川グランドで行われたテニス会にお邪魔したのが東京支部との出会いだったと記憶しています。その頃は、吉川先輩や藤田先輩が支部のお世話役をされていましたが、お二人とも相次いで転勤で地方へ。藤田先輩から「お前、やれ」と言われ、次の瞬間には引継ぎ資料の入った紙袋を握らされました。悩む間もなくお引き受けしてしまいましたが、東京にいると神戸本部の活動には参加出来ませんので、せめて東京支部の活動を通じて母校テニス部への恩返しをしようと考えています。

東京支部の最大の悩みはコートの確保です。どこか民間のコートを予約しないといけませんが、交通の便、料金、設備の良し悪し、急な人数の変更への柔軟な対応等を勘案しないといけません。その点、前述のロイヤルSC野田は本当に有り難い存在で、これまでにも何度も助けてもらっています。

私事で恐縮ですが、8月に高校の同窓会があり、30数年ぶりに多くの友人が集う機会がありました。不良で先生を困らせていた男がフツーのおじさんになっていたり、運動部の主将でスポーツ万能だった奴が跡形もなく丸〜くなっていたり、当時は殆ど目立たなかった女の子がドキッとするような美人になっていたり。でも、30年の月日が流れても昔の仲間の顔は判るものですね。それに、同窓生と話していると、単に昔話をしているのではなく、あの当時に戻って高校の教室で雑談をしているような錯覚に陥ります。淡水テニスクラブの同期や先輩後輩も同じようなもので、夏の総会の時に渋谷の居酒屋で話しをしていると一瞬フラッシュバックして、部室やコートサイドや学食の光景が頭に浮かびます。もちろん、先輩に怒鳴られ、舞子墓園の中を走らされた時の辛さも。そのフラッシュバックが私にエネルギーを与え、仕事に向かい合い、テニスやサッカーに汗を流す素になっていますので、これからも何らかの形で東京支部の活動に関わって参りたいと思います。

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